はじめに
飲食店開業を決意した時、開業スケジュールと並行して直面する最初の大きな岐路が、「個人事業主」としてスタートするか、それとも「法人(会社)」を設立するか、という問題です。
「最初は個人事業主でいいかな?」 「法人化した方が、なんとなく格好良くて信用されそう」
この選択は、単なる「形式」の問題ではありません。将来的に支払う「税金」、銀行からの「融資(信用力)」、そして「社会保険」の負担まで、経営の根幹に関わる重大な違いを生み出します。
この記事では、飲食店を開業するにあたり、どちらの形態があなたの状況に最適なのか、それぞれのメリット・デメリットを具体的な数字やシーンを交えて徹底的に比較・解説します。
1. 「個人事業主」と「法人」の基本的な違い
まずは、両者の根本的な定義を理解しましょう。
個人事業主 (Sole Proprietorship)
「個人」が事業を行う形態です。
- 特徴: 手続きが非常に簡単。税務署に「開業届」を一枚提出するだけで、その日から事業を開始できます。
- 責任: 事業主=個人のため、事業の利益も損失も、すべての責任も事業主個人が負います。
法人 (Corporation)
「個人」とは別人格である「会社」という存在を作り、その会社が事業を行う形態です。
- 特徴: 設立に費用と手間がかかります。株式会社(KK)や合同会社(GK)といった種類があり、法務局への登記手続きが必要です。
- 責任: 事業主(社長)と会社は法律上「別人」です。事業の責任は、原則として会社(が出資の範囲内)で負い、社長個人には及びません(※ただし、融資の個人保証などを除く)。
2. 一目瞭然!「個人事業主」vs「法人」徹底比較表
まずは全体像を掴むために、主要なポイントを比較表にまとめました。
| 比較項目 | 個人事業主 | 法人(株式会社・合同会社) |
|---|---|---|
| 設立の容易さ | ◎ 容易 (開業届を出すだけ) | ✕ 複雑 (定款認証・登記が必要) |
| 設立費用 | ◎ ほぼ0円 | ✕ 高額 (合同会社: 6万円〜 / 株式会社: 20万円〜) |
| 社会的信用 | △ (個人に依存) | ◎ 高い (法人格としての信用) |
| 融資・資金調達 | △ (個人の信用力次第) | ◎ 有利 (事業計画書が重要) |
| 税金 | (所得税) 累進課税 (5%〜45%) ※利益が少ないうちは有利 | (法人税) ほぼ一定の税率 (約23%〜) ※利益が多いほど有利 |
| 社会保険 | △ (国民健康保険+国民年金) ※全額自己負担 | ◎ (健康保険+厚生年金) ※会社が半額負担(=個人の手取りは有利に) |
| 経費の範囲 | △ (範囲が狭め) | ◎ 広い (社長の給与・退職金も経費に) |
| 会計・事務 | ◯ (青色申告など) | ✕ 複雑 (税理士の顧問がほぼ必須) |
| 事業の責任 | ✕ (無限責任) ※個人の全資産で返済 | ◎ (有限責任) ※原則、出資額の範囲内 |
3. どちらを選ぶべき? 5つの最重要比較ポイント
比較表だけでは分かりにくい、飲食店経営に直結する重要ポイントを深掘りします。
① 設立コストとスピード
- 個人事業主: 開業届や許認可申請など、必要な書類を揃えればすぐにスタートできます。費用はほぼかかりません。
- 法人: 設立(登記)だけで最低でも合同会社で6万円、株式会社で20万円以上の法定費用がかかります。司法書士などに依頼すれば、さらに10万円前後の手数料が発生します。
結論: とにかく初期費用を抑え、スピード重視で始めたいなら「個人事業主」一択です。
② 税金(利益がいくら出たら法人化すべきか?)
ここが最大の分岐点です。
- 個人事業主: 儲け(=課税所得)が大きくなるほど税率が上がる「累進課税」です。
- 例: 課税所得300万円→税率10% / 課税所得900万円→税率33%
- 法人: 儲け(=課税所得)がいくらでも、税率はほぼ一定(約23%前後 ※資本金などによる)です。
一般的に、課税所得が800万円〜1,000万円を超えると、個人の所得税率が法人税率を上回るため、法人化した方が「節税」になると言われています。 また、法人は社長自身に「給与(役員報酬)」を支払うことができ、それが会社の「経費」として認められるため、会社の利益を圧縮できるという大きな節税メリットがあります。
結論: 年間の利益が800万円を安定して超えそうなら「法人」が有利。それ以下なら「個人事業主」が有利です。
③ 社会的信用(融資・物件契約)
飲食店経営は「信用」が命です。
- 個人事業主: 信用は「その人個人」のものです。高額な開業資金の調達や、一等地のテナント契約交渉において、個人の実績や資産が問われます。
- 法人: 「法人格」という社会的信用があります。金融機関からの融資枠が広がりやすく、大手企業や百貨店との取引、商業施設への出店交渉もスムーズに進みます。
結論: 開業当初から高額な融資が必要な場合や、BtoB取引・商業施設出店を視野に入れるなら「法人」が有利です。
④ 社会保険
従業員を雇用する(あるいは自分が会社から給与をもらう)場合、大きな違いが出ます。
- 個人事業主: 従業員が5人未満の場合、社会保険(健康保険・厚生年金)の加入は任意です。事業主自身は「国民健康保険」と「国民年金」に加入します。
- 法人: **従業員数に関わらず、社長1人でも社会保険への加入が「義務」**です。保険料は会社と個人で折半します。
これは一見「コスト増」に見えますが、厚生年金は将来の受給額が国民年金より多く、健康保険も扶養の概念があるなど、福利厚生面で優れています。「社会保険完備」はスタッフ採用においても強力な武器になります。
結論: スタッフを雇用し、定着率を上げたいなら「法人」が有利。自分一人、もしくは家族経営で小さく始めるなら「個人事業主」でも問題ありません。
⑤ 廃業・赤字の時のリスク
- 個人事業主: 「無限責任」です。事業に失敗し借金が残った場合、個人の全資産(自宅や貯金)を投げ打ってでも返済する義務を負います。
- 法人: 「有限責任」です。原則として、出資した金額以上の責任は負いません。会社が倒産しても、個人の資産は守られます。(※ただし、社長個人が銀行融資の「連帯保証人」になっている場合は、個人にも返済義務が発生します)
結論: 万が一のリスクを最小限にしたい、個人の資産と事業を切り離したいなら「法人」が有利です。
4. シナリオ別「あなたはどっち?」診断
結局、自分はどちらを選べば良いのでしょうか。
「個人事業主」がおすすめな人
- まずは小さく、低予算で開業したい
- カフェや小規模な居酒屋を、自分や家族中心で運営する
- 開業当初の売上見込みがまだ立たない(年間の利益が500万円以下想定)
- まずは副業やシェアキッチンから試してみたい
「法人」がおすすめな人
- 開業時から多店舗展開やFC展開を計画している
- 自己資金とは別に、1,000万円以上の高額な融資を受けたい
- 初年度から安定して年間800万円以上の利益を見込んでいる
- 正社員を雇用し、福利厚生を充実させて採用を強化したい
5. 最も賢い選択肢「法人成り(ほうじんなり)」とは?
多くの飲食店経営者が選ぶ、最も現実的で賢い道が「法人成り」です。
これは、最初は「個人事業主」としてスタートし、事業が軌道に乗って利益が安定的に800万円を超えるようになったタイミングで「法人(会社)」に切り替える方法です。
- メリット:
- スタート時のコストと事務負担を最小限にできる。
- 利益が少ないうちは個人事業主の低い税率の恩恵を受けられる。
- 売上が安定し、節税メリットが大きくなったベストなタイミングで法人化できる。
まとめ
「個人事業主」と「法人化」に、絶対的な正解はありません。あなたの事業規模、資金計画、そして将来の展望によって「最適解」は変わります。
- スピードと低コストで小さく試すなら「個人事業主」
- 信用と大きな節税メリット、多店舗展開を目指すなら「法人」
最もおすすめなのは、まず「個人事業主」としてスタートし、キャッシュフロー管理を徹底しながら利益を伸ばし、売上の拡大と共に「法人成り」を目指す道です。
最終的な判断は、税理士などの専門家にも相談し、あなたの開業計画に最適な形態を選びましょう。


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