結論からいうと、飲食店で従業員が切り傷、やけど、転倒などの事故に遭ったら、「救命・応急手当」「仕事中のけがであることを伝えて受診」「事故記録と証拠の保存」「労災保険給付の請求支援」「労働者死傷病報告」を進めます。労災保険の請求と労働者死傷病報告は別の手続きであり、必要に応じて並行して対応します。
店長やオーナーが「軽傷だから労災ではない」「本人の不注意だから対象外」と決めてはいけません。労災保険の支給・不支給を決定するのは労働基準監督署長です。会社が事業主証明を拒否した場合や加入手続きをしていなかった場合でも、労働者は労災保険給付を請求できます。厚生労働省「事業主が労災保険の加入手続を行っていなかった場合」、厚生労働省「会社が責任を認めない場合」
事故発生時の基本対応は、次の5段階です。
- 危険な機械、火、油、床面から被災者と周囲の人を離す
- 状態を確認し、119番通報、応急手当、医療機関への搬送を行う
- 受診時に「仕事中のけが」であることを医療機関へ伝える
- 事故状況、目撃者、写真、映像、勤務記録、休業見込みを保存する
- 労災保険給付の請求支援と労働者死傷病報告をそれぞれ進める
本記事は、2026年10月21日時点で確認できる厚生労働省、都道府県労働局、総務省消防庁、日本赤十字社の公表資料を基に、小規模な飲食店でも実行できる労災事故対応を整理しています。
飲食店で事故が起きた直後の初動手順
最優先するのは、営業の継続ではなく被災者と周囲の安全です。注文対応を続けたまま事故現場を放置すると、別の従業員やお客様を巻き込む二次災害につながります。
最初の5分で行うこと
- 作業を止める:包丁、スライサー、ミキサー、フライヤー、ガス機器などを、安全を確保できる方法で停止します。
- 現場を区切る:濡れた床、割れた食器、熱い油、落下物には人を近づけません。
- 状態を確認する:意識、普段どおりの呼吸、出血、やけどの範囲、頭部への衝撃などを確認します。
- 役割を分ける:応急手当、119番通報、救急隊の誘導、現場管理を可能な範囲で分担します。
- 責任者へ連絡する:店長が不在でも救護を先に開始し、その後オーナーや本部へ報告します。
意識がない、普段どおりの呼吸がない、大量出血がある、広範囲または深いやけどが疑われる、頭を強く打って様子がおかしいといった場合は、ためらわず119番へ通報し、通信指令員の指示に従ってください。救急車を呼ぶべきか迷う場合は、実施地域の救急安心センター「#7119」を利用できます。ただし、緊急性が高い場合は#7119を経由せず119番へ通報します。総務省消防庁「救急安心センター事業(#7119)」
事故別の応急対応
| 事故 | 現場で行うこと | 避ける対応 |
|---|---|---|
| 包丁・割れた食器による切り傷 | 救助者は手袋やビニール袋で血液との接触を避け、ガーゼや清潔な布を傷口へ当てて直接強く圧迫します。大出血や止血困難の場合は119番へ通報します。 | 素手で血液に触れる、出血状態を見るために何度もガーゼを外す |
| 油・熱湯・鉄板によるやけど | 範囲が狭い場合は、冷たい水や水道水で痛みが取れるまで冷やします。衣服で覆われている場合は無理に脱がさず、そのまま冷やします。広範囲のやけどは低体温に注意し、119番や医療機関へ相談します。 | 水ぶくれをつぶす、皮膚に付着した衣服を無理にはがす、油や薬剤を自己判断で塗る |
| 濡れた床・段差での転倒 | 頭、首、背中、腰の強い痛みや意識の異常があれば、無理に立たせず119番へ通報します。救護後、二次災害を防ぐため床面を区切ります。 | 歩けるか確認するために無理に立たせる、救護前に撮影や原因追及を優先する |
| 熱中症・急な体調悪化 | 暑い場所から移動させ、衣服を緩めて身体を冷やします。意識がもうろうとしている、自力で水分を取れないなどの症状があれば119番へ通報します。 | 一人で休憩室に残す、本人に運転させて帰宅させる |
日本赤十字社は、出血時には傷口をガーゼなどで直接強く押さえる直接圧迫止血を基本としています。やけどについては、水道水などで冷やし、水ぶくれをつぶさず、衣服を無理に脱がさないよう案内しています。日本赤十字社「多量の出血」、日本赤十字社「熱傷(やけど)」
厨房の高温環境における予防、WBGT測定、緊急時の搬送手順は、飲食店 熱中症対策マニュアル|2026年ガイドライン対応のWBGT測定・厨房改善・緊急手順も確認してください。
アルバイトのけがも労災保険の対象になる
労災保険は正社員だけの制度ではありません。パート、アルバイト、学生、短期スタッフなども、労働者として雇用され賃金を受けていれば原則として対象です。勤務日数が少ない、試用期間中、高校生、健康保険や厚生年金に加入していないといった理由だけで対象外にはなりません。厚生労働省「労災補償」
高校生を雇用している店舗は、年齢確認や深夜勤務の制限に加え、緊急連絡先も整備しておきましょう。高校生の雇用管理については、飲食店 高校生アルバイト 雇用ルール【2026年版】|18歳未満の深夜勤務・年齢証明・シフト管理で解説しています。
「本人の不注意」でも直ちに対象外にはならない
包丁の扱いを誤った、濡れた床で急いで転んだ、手袋を着け忘れたなど、本人側にも不注意がある事故は珍しくありません。しかし、労災保険は事業主の過失だけで支給・不支給が決まる制度ではありません。業務と傷病の関係を労働基準監督署が個別に判断します。店側が独断で労災手続きを拒否しないでください。
仕事中や通勤途中のけがに健康保険を使わせない
業務中や通勤途中のけがは、原則として健康保険ではなく労災保険で取り扱います。「小さなけがだから保険証を使って」「店が治療費を払うから私傷病として受診して」と案内してはいけません。厚生労働省「業務中や通勤途中のケガに、健康保険は使えません」
誤って健康保険を使った場合は、受診した医療機関と加入している健康保険へ労働災害であったことを連絡し、労災保険への切り替えを進めます。医療費全額の一時負担が難しい場合などは、自己判断せず所轄の労働基準監督署へ相談してください。厚生労働省「健康保険証を使って受診してしまいました」
オーナー本人は通常の労災保険では対象外になることがある
事業主、自営業主、法人代表者など、労働者に該当しない人は通常の労災保険の対象外です。役員や家族従事者は名称だけでなく、指揮命令関係や賃金、勤務実態などによって労働者性が判断されます。中小事業主等の特別加入制度を利用できる場合があるため、厨房に立つオーナーは事故が起きる前に労働保険事務組合などへ加入条件を確認してください。厚生労働省「特別加入制度とは何ですか」
受診と労災保険給付で使う主な書類
医療機関へ向かう際は、可能であれば労災保険指定医療機関かを確認します。ただし、重傷時は指定医療機関探しや書類の準備を優先せず、救急隊の判断に従ってください。
| 状況 | 業務災害 | 通勤災害 | 主な提出先 |
|---|---|---|---|
| 労災保険指定医療機関で治療を受ける | 様式第5号 | 様式第16号の3 | 医療機関 |
| 指定外医療機関などで費用を立て替えた | 様式第7号(1) | 様式第16号の5(1) | 所轄労働基準監督署 |
| 療養のため働けず、賃金を受けていない | 様式第8号 | 様式第16号の6 | 所轄労働基準監督署 |
薬局、柔道整復師、はり・きゅう、訪問看護などでは別の様式を使う場合があります。必ず厚生労働省の公式ページで最新版を確認してください。厚生労働省「主要様式ダウンロードコーナー」
業務災害の休業1~3日目は事業主が補償する
業務災害で従業員が療養のため働けず休業した場合、休業初日から3日目までは労災保険の休業補償給付が支給されません。この待期期間については、事業主が原則として1日につき平均賃金の60%以上を休業補償として支払います。通勤災害と複数業務要因災害には、労働基準法上の同じ事業主補償義務はありません。厚生労働省「労働災害」
休業4日目以降は、「療養のため働けない」「賃金を受けていない」などの要件を満たせば、休業1日につき給付基礎日額の80%相当が支給されます。内訳は休業(補償)等給付60%と休業特別支給金20%です。厚生労働省「休業(補償)等給付の計算方法」
店側の判断だけで欠勤日を年次有給休暇へ振り替えることはできません。年次有給休暇を使うかどうかは本人の請求を確認し、労災による休業、賃金の支払い、年休取得を区別して記録してください。
労働者死傷病報告の対象と提出期限
労災保険給付の請求と、労働者死傷病報告は別の手続きです。治療費を店が負担した場合や、従業員が労災保険給付を請求しない場合でも、就業中または事業場内などで発生した事故により1日以上休業した場合は、原則として事業者側に報告義務があります。
| 死亡・休業の状況 | 提出時期 | 提出方法 |
|---|---|---|
| 死亡または休業4日以上 | 遅滞なく | 原則として電子申請 |
| 休業1~3日 | 1~3月分は4月末、4~6月分は7月末、7~9月分は10月末、10~12月分は翌年1月末 | 原則として電子申請 |
| 休業なし | 通常、労働者死傷病報告は不要 | 内部の事故記録は残す。火災、爆発、設備事故など、別の事故報告が必要となる事故は所轄署へ確認する |
当初は休業3日以内と見込んでいても、実際の休業が4日以上になった場合は、判明した段階で遅滞なく報告します。休業日数の判断に迷う場合は、自己判断で次の四半期まで待たず、所轄の労働基準監督署へ確認してください。
2025年1月1日から労働者死傷病報告の報告事項が改正され、電子申請が義務化されました。厚生労働省の帳票入力支援サービスでは、入力した内容をe-Gov経由で申請できます。電子申請を行う環境が整っていないなど、電子申請が困難な場合には、当面の間、改正後の書面様式による報告も認められています。厚生労働省「労働者死傷病報告の電子申請義務化」
一般の通勤途上で事業場外において発生した通勤災害は、労災保険給付の対象になり得ますが、通常、会社からの労働者死傷病報告は不要です。
報告しないことは「労災かくし」になり得る
労働災害の発生を隠す目的で労働者死傷病報告を故意に提出しないことや、虚偽の内容で提出することは「労災かくし」とされます。報告をせず、または虚偽の報告をした場合は、50万円以下の罰金の対象になることがあります。厚生労働省「労災かくしは犯罪です」
「本人が大ごとにしたくないと言った」「繁忙期で提出を忘れた」「治療費を店が支払った」といった事情だけで、報告義務がなくなるわけではありません。
事故記録に残す項目と証拠の保存方法
正確な労災請求と再発防止のため、可能な限り事故当日中に事実を記録します。負傷者の救護より撮影や聞き取りを優先してはいけません。
事故記録に必要な項目
- 事故の発生日時と発見日時
- 店内の具体的な場所
- 事故直前に行っていた作業
- 使用していた機械、包丁、容器、洗剤など
- 床の濡れ、照明、温度、通路上の物品など周辺状況
- 被災した部位、症状、意識と出血の状態
- 行った応急手当と119番通報の時刻
- 受診した医療機関と移動方法
- 目撃者の氏名と確認内容
- 写真、防犯カメラ映像、機器データの有無
- 医師から示された休業見込み
- 事故後に実施した使用停止、清掃、修理、教育
事故発生状況は、推測や評価語を避けて時系列で書きます。「本人の不注意で転んだ」ではなく、「床の排水口付近をトレーを持って移動中、右足が滑り、左側へ転倒した」のように、確認できた動作と環境を分けて記録します。
防犯カメラ映像は上書きされる前に必要部分を保存し、閲覧者を限定します。包丁、破損した食器、滑った靴、故障した機器などを調査前に廃棄・修理する必要がある場合は、全体と損傷部分を撮影しておきます。
事故日時と勤務実態を照合できるよう、シフト、打刻、出勤簿、賃金台帳も保存します。勤怠記録の整備方法は、飲食店 法定三帳簿【2026年版】|労働者名簿・賃金台帳・出勤簿の作り方と保存期間を参照してください。
営業継続・再開前に行う再発防止
事故報告書を作って終わりにすると、同じ設備と動線で事故が再発します。「本人へ注意した」「朝礼で共有した」だけで済ませず、設備、作業方法、人員配置の順に原因を減らしてください。
| 事故要因 | 営業継続・再開前の確認 | 中期的な改善 |
|---|---|---|
| 濡れた床・油 | 漏水や油を除去し、乾燥するまで通路を区切る | 排水、床材、防滑マット、耐滑靴、清掃頻度を見直す |
| 包丁・割れた食器 | 刃物を所定位置へ戻し、破片を専用容器で回収する | 包丁の保管位置、洗浄手順、声かけ、耐切創手袋の適否を見直す |
| フライヤー・熱湯 | 温度、蓋、取っ手、足元、作業スペースを確認する | 油交換や寸胴移動の時間帯、人数、運搬器具を見直す |
| 食品加工機械 | 電源を切り、ガードや安全装置を確認する | 清掃時の電源遮断、使用者の限定、点検表を整備する |
| 人員不足・焦り | 被災者を外した人数で安全に営業できるか判断する | ピーク時の配置、仕込み量、注文制限、応援要請の基準を決める |
設備や作業手順を変更したら、対象者へ再教育を行い、安全な動作を実行できるか確認します。雇入れ時の安全教育に入れる内容と記録方法は、飲食店 雇入れ時安全衛生教育【2026年版】|アルバイト初日の8項目・実施記録で確認できます。
被災者の復帰時には、医師の指示、痛み、可動域、通院予定を確認し、包丁作業、重量物運搬、長時間の立ち仕事などを一律に再開させないようにします。就業可否や必要な配慮を店舗だけで判断できない場合は、主治医、労働基準監督署、産業保健総合支援センター、社会保険労務士などへ相談してください。
飲食店の労災事故対応に関するFAQ
小さな切り傷で、その日のうちに仕事へ戻った場合も報告が必要ですか?
休業がなければ、通常は労働者死傷病報告の対象外です。ただし、治療が必要なら労災保険給付の対象になり得ます。事故記録を残し、症状が悪化して後日休業した場合に報告漏れが起きないよう追跡してください。
スタッフが「健康保険で受診したい」と言った場合は?
仕事中または通勤途中のけがであることを医療機関へ伝え、労災として相談するよう案内します。本人の希望だけで業務上のけがを健康保険扱いにすることは避けてください。
年次有給休暇を使った場合、労働者死傷病報告は不要ですか?
賃金が支払われたことや年次有給休暇を使ったことだけで、報告義務がなくなるとは限りません。業務上のけがによって本来の勤務日に就業できなかった場合は、賃金の有無だけで判断せず、実際の休業日数を整理して所轄の労働基準監督署へ確認してください。
労災保険の加入手続きを忘れていた場合、従業員は給付を受けられませんか?
事業主が加入手続きをしていなかった場合でも、労働者は労災保険給付を請求できます。一方、事業主には保険料の遡及徴収に加え、給付額の全部または一部に相当する費用が徴収される可能性があります。事故を隠さず、直ちに労働基準監督署または労働局へ相談してください。
本人が労災申請を希望しなければ、店は何もしなくてよいですか?
いいえ。労災保険給付の請求は原則として被災労働者側が行う手続きですが、休業を伴う事故の労働者死傷病報告は事業者側の義務です。両者を混同せず、事故記録、必要な報告、請求書への事業主証明を進めてください。
まとめ:事故対応表をレジ裏や事務所へ備える
飲食店の労災事故対応では、次の項目を事前に1枚の表へまとめておくと、店長不在時の混乱を減らせます。
- 119番通報の判断と店舗住所の読み上げ方
- 救急箱、手袋、ガーゼ、AEDまたは最寄りのAEDの場所
- 近隣の労災保険指定医療機関
- オーナー、本部、緊急連絡先への連絡順序
- 事故記録の保存先と防犯カメラ映像の保存方法
- 労災保険給付の担当者
- 労働者死傷病報告の期限と担当者
- 営業停止、縮小、再開を判断する責任者
事故を完全にゼロにすると断言することはできません。しかし、救護、受診、記録、請求、報告、再発防止の手順と担当者を事前に決めておけば、負傷の悪化や手続き漏れを防ぎやすくなります。マニュアルは作成したままにせず、設備変更や事故発生のたびに見直してください。

